「目標とする人」はいらない。他の誰でもない自分自身であるために。

こんにちは、 YUKA です。

「目標とする人は?」と聞かれたら、多くの方が「いる」「◯◯さん」と答えるのではないでしょうか。

もちろん、目標とする人がいることを決して否定するわけではありません。

ただ、私は「目標とする人はいらない」と考えていますし、「むしろいない方がいい」とさえ思っています。

私にもいた「目標とする人」

今でこそ「目標とする人はいらない」と断言している私ですが、かつては節目ごとに「目標とする人」がいました。

なりたい、でもなれない!

彼ら彼女らは誰もが私にないものをたくさん持っていて、憧れるに足りる十分な存在でしたし、「あの人みたいになりたい!」と思って頑張ったものです。

でも…なれるわけなどありません。

それなのに私は「努力が足りない」「あの人みたいになれない自分はダメなんだ」と自分を責め、落ち込んでばかりでした。

当たり前のことに気づく

考えてみれば当たり前のことです。

自分以外の誰かになどなれるわけがないのに、私は自分と向き合うこともせず目標とする人ばかりを追いかけていたのですから。

このことに気づいたとき、私は「目標とする人」を設定することをやめました。

「目標とする人」がいることの弊害

世の中には「目標があるから頑張れる」「目標とする人がいるから成長できる」という方もいらっしゃるでしょう。

ですから、ここからはあくまでも私が考える「目標とする人」がいることの弊害です。

自分らしさを見失う

かつての私が陥ったように、目標とする人がいると「あの人みたいになりたい」と「その人そのもの」を目指してしまいがちです。

すると、せっかくの自分の良さまでも否定することになり、結果的に自分らしさを見失うことになってしまいます。

そもそも他人とまったく同じ存在になどなれませんし、なったところで自分自身の素晴らしさが消えてしまってはなんの意味もありません。

目標とする人を超えても自分の限界は超えられない

目標とする人がいると、「あの人みたいになりたい」と同時に「あの人を超えたい」という思いも湧き上がってきます。

でも、仮に「あの人」を超えたとして、それがなんになるのでしょう。

どっちが上かなんて相対評価でしかありませんし、他人を超えた喜びなどしょせん独りよがりの喜びです。

本当に超えるべきは自分自身の限界。

そして、目標とする人を超えたところで自分の限界は超えられません。自分自身の限界を超えたければ戦う相手も自分自身です。

真似るのは「やり方」であって「生き方」ではない

とは言うものの、私の周りにも素晴らしい方はたくさんいらっしゃいます。

また「学ぶとは真似ぶ(真似る)こと」とも言われるぐらい、成長のために誰かを徹底的に真似ることも時には必要です。

ただ、ここで注意しなければならないのは、真似るのはあくまでもその人の「やり方」であって「生き方」ではないということ。

仕事のやり方、勉強の仕方、ブログの書き方といった「やり方」は、下手な自己流でやるより最初は徹底的に真似て、あとで自分らしさを加えた方が経験的にもうまくいきます。

ですが、このときに決して「生き方」まで真似しないことです。

逆立ちしたって「あの人」にはなれないし、なる必要もないのですから。

まとめ

自分自身であること。

簡単なように見えて、なかなか難しいですよね。

でも、他人を目指したり他人と比較しなくても、私は私のままで素晴らしいし、あなたはあなたのままで素晴らしいんです。

この記事を読んだあなたが、あなた自身の素晴らしさに1日でも早く気づいてくださいますように…。